「なんか〇〇じゃね」 人生のコンパス
「なんか〇〇じゃね」
この感覚って、これからを生きて行く上でものすごく大事な気がしています。
その感覚にどれだけ忠実に従えるか、それが個人の成功と幸福感を決める大きな変数になっていくのではないかと個人的には思っています。
例えばプラスの感覚で言えば
「なんか面白そうじゃね」
「なんかカッコよくね」
「なんか分かんないけどワクワクしね」
など
マイナスの感覚で言えば
「なんかつまんなくね」
「なんかカッコ悪くね/ダサくね」
「なんか分かんないけど気にくわない」
などです。
ここで重要なのが「なんか」という表現です。
僕は、「直感合理的正当性説」(自分で考えた言葉なのでググってもでてこないです)を信じているのですが、少しその話をしようと思います。以下の話は僕の完全なる自論ですのでそもそもこれが科学的に正しいのかどうかは全くわかりません。(そのような論文等を知っている方がいれば教えていただけると嬉しいです)
「直感合理的正当性説」とは、簡単に言うと
人間の直感は”その人のなかでは”合理的かつ正当性のあるものである
という説です。
私たちは生きている間、数え切れないほど膨大な量の情報を得ています。その情報を脳が何かしらのアルゴリズムを用いて瞬時に処理をし、「直感」という形で私たちに感覚を提供してくれているとします。
そうなると、普段私たちが感じている
「なんかカッコよくね」
「なんか面白くね」といったものはそのアルゴリズム処理後のものになります。
AIが結論は出すけどそれに至るまでの背景や理由は教えてくれないことと、上記の「直感」の例の頭にある「なんか」という表現は類似したものだと思います。
つまり、直感とはその人が生きている間に五感をフルに使って得た全ての情報の蓄積から、自分にとって最適な解を導き出したもの。とも言えるのかもしれません。
が、その「なんか」を構成する理由はなかなか出てきません。が、その直感は自分の中では正当性のあるものだと信じても良いものなのではないでしょうか
何かに悩んだり迷っているとき、
「悩んでるけど、自分の中では答えは分かっているんだろうな。」という経験は誰しもあると思います。多分それも、この直感の理屈でいう、最適な解としてすでに瞬時に答えが出ているからだと思います。アルゴリズム処理後の感覚なのでAIと同じく理由が分からないだけです
だとしたら、つべこべ考えずに
「なんか面白そう」
「なんかカッコよさそう」
「なんかワクワクしてくる」
ことを、その直感を、信じて突き進んで行くことが大事なんじゃないかと思います。
「なんか面白そう」なことをしてみて、「なんかつまんなく」なったら辞めればいい。「なんかワクワクする」ことをしてみて「なんか飽きてきた」ら違うことをすればいい。
それをどんどん繰り返していくこと
脳の感覚をアップデートしていくことが、特にこれからの時代を生きていく私たちに必要なことなのではないかと思っています。